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気になる短歌 ~すごい短歌 2~


こんにちは。

ひっさしぶりの「気になる短歌」ですが、みなさんお元気でしょうか。

私は就職したので、新しい職場でバタバタしています。


さて今回は「すごい短歌」を紹介。私が短歌を始めた頃に出会った短歌です。

気になる短歌、略してきにたん、始まります!




すごい短歌 2

雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁

斉藤斎藤



県道を歩いていて道に何か落ちている、それに近づいてみるとああこれはのり弁。状況を追体験できる短歌だ。県道の濡れ感、におい、行き交う車たち、そういう情景がありありと浮かんでくる。


全体的にやさしい語り口の中の「ぶちまけられて」という言葉の強さ。この言葉がほんとにしっくりくる。弁当の中身がバーってなっちゃってる感じがよく出てる。


のり弁というアイテムの素っ頓狂さも面白かった。え、のり弁(??!??!)という感じで驚く。でも、雨の県道にあっても違和感がないというか、なにかの理由で落ちてそうな感じはある。


「何か落ちている、あれはなんだ?→のり弁」という構成なのかな。「疑問→気づき」を素朴に描いているのが胸に残った。道に何か落ちてるときってあまり見ないように私は通り過ぎちゃうんですが、主体は普通に注目して普通に確認している。そういう主体の行動や姿にも素朴さを感じる。


あと、主体のテンションのぶれなさが印象的。「これはのり弁」だと分かったときの感情の揺れが伝わってこなくて、いい意味の怖さを感じた。主体の素朴さやぶちまかれてる物への注目やテンションの変わらなさなど、この主体自身、短歌自身が淡々としている。


誰が落としたのか、誰がのり弁を片付けるのか、主体はのり弁を見つけた後どうするのか…。いろいろな方向に思いをはせた。のり弁を落とした人の驚きやなすすべのなさ、そして落とされてそのままにされたのり弁の無力さ、のり弁への残酷さ。のり弁を横に車も人もみんなが通り過ぎているだろう悲しさとか、主体も通り過ぎてゆくのだろうか?という思いとか、そういう雰囲気がただよう雨の県道。のり弁に誰もどうもしてない様子がそのまま描かれて、そのままの描写が胸に刺さる。


こちらの短歌、ご存知の方も多いんじゃないでしょうか。『マツコ&有吉の怒り新党』という番組で特集されたこともあります。当時、番組を見た短歌始めたての私はびっくりしました。短歌のイメージが覆ったというか、こういう感じの短歌もあるんだ!と。短歌のイメージが広がり、自分の中のテーマが自由になりました。



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今回の一首、いろんなこと考えた~。

次回もお楽しみに。


2019.8.4



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